「憧れ」なるものを徒然なるままに

「あこがれ」についてたどり着けそう
 
素敵だな、なりたいなと他人を見てあこがれるのは自分の中にその種があるから、っていうよね。
 


いつも見てくださるあなたへ
井上まゆみです。
 
 
なんか、この「あこがれる」に対して自分なりの答えが出そうな今日。
 
たどり着くかどうか、未知のまま、言葉にしてみる。
 
自分の中にその種があることしか人は反応しないらしいが、あまりにもなさすぎる時も、同じように反応するのではないか。
 
 
ない、という種がある、てことかな。
 
種があるって強烈な思いがあるってこと。
 
 
 
自分にない→あこがれる
 
 
 
この場合の憧れって自己肯定が低いとこから派生してるよね。
 
ない部分を持っている他人に憧れる。
 
ない、という事実だけなのに(勝手に自分の中で)優劣をつけて
 
ない自分はダメー
ある他人はいいー
 
みたいにジャッジするの。これはあるあるよね。うん。
 
向上心がある?といえば一見前向きではあるけど。
 
 
ない部分があるに変わったら、もっとバージョンアップしてよくなりそうで、自分に取り入れたい。
 
今の私でも十分だけど、ココが強化されるともっといいよね♡うふ♡
 
のエネルギーならば、よい。
 
ただ、始まりが「ない」私じゃだめだー

だからこれ足すー
 
のエネルギーだと、ないない探しがまた始まるんですよね。
 
仮にこれを足して自分にうまく取り込んだとしても、また別の穴を探してしまうことになるのは目に見えてる。
 
きっとそれは部分的な話で。
 
もっといえば、言動や目に見える部分。DO=やり方の話だ。

 

そんなはなしじゃない。
 
 
私はなぜその人に憧れるのか。
 
鏡として、憧れを利用して自分の形を確認しているんだと思います。
 
BE=あり方、その人の在り方に目を向ける事が本質に近づけそう・・・


 
私は確固たる在り方がありません。
 
言い切ってしまうのは悲しいですが、ないです。
 
だから、惹かれる憧れる人の何を見てインストールしたいとしているのか。
 
どういう在り方が好きなのか。

 

憧れを使って自分の概観を捉えようとしてるのかもしれない。


 
そして、この「差」が大きいと時々、しんどくなる。
 
自分の欲望にふたをしたくなる。
 
そこで、踏みとどまって、今までのこと振り返ろう。
 
簡単にゼロにしない。勝手にリセットしない。どうせリセットにはならないんだから。
 


遠回りだけど、自己受容、自己肯定、自己向上ていう流れだなぁと思うのです。
 
地盤の緩い、土台にレンガの家を建てても、増築しても、いつかは潰れてしまうと思うのです。
 
緩い地盤に合わせて、藁の家でもいいか、と妥協しそうになる自分もいる。

 

いや。と思い直し、

 
地盤を整えつつ、土を耕しながら、近々建設予定のレンガづくりの家の間取り図を描いている所なのです。

 
・・・うん。

たまには結論の出ないブログでもいっか。