やれてるようでやってない「愛でる」行為

今、意識的にありがたがる時間を作っている。
 
 
 
次から次へと得ようとすると

目の前にあるものに対する感謝が薄れる。
 
欲しいものがどんどん沸いている人は
意識が「欲しいもの」に向かっているので 
欲しかったモノを手に入れると
 
そのモノは

 

「欲しかった」

 

という過去の意識になってしまっているので
意識が向かわない。
 
 
もうすでに次の「欲しいもの」を意識してる。
 
 
どんどんモノを買う人、どんどん知識を増やしていく人、どんどん新しい人を求める人の
意識は全然目の前のモノに向かっていない。
 
 
 
手に入れたそれらをありがたがる時間を作らないと、目の前のモノに価値が生まれない。


 
例えばね、買った服を眺めながらそのスカートとの出会いを思い出して


「普段いかない店だったけど、あの時のぞいたらあったんだよねー♡」とか、


「めんどくさくて薦められても試着しないタイプなのに、あの時はふと試着してよかったー♡」とか、
 
お家でデート服を決めるときにも
「このスカートはいたら、めっちゃ褒められるからテンション上がるー♡」とか、
 
新しい服じゃなくてもいいの。お気に入りのワンピースを見ながら
「3年前に着てたなー。一緒に壱岐にもいったし、銀座にも行ったし・・・
Sくんとのデートで着た♡あの時見た景色、めっちゃよかったなー」
なんて、おまけで出てくるいい気分も味わえる。
 
スカート1枚で、ワンピース1枚で、女は幸せになる時間が圧倒的に増える(笑)
 
お洋服が好きだから、このたとえは私にすごくピンとくる。
 
愛で続ければ、買った瞬間(得た瞬間)だけでなく、何度も幸せな気持ちにさせてくれる事を私は知っていた。
 
 
でもねー、知識や人に関してはその意識が薄かった。
 
常に新しい情報や知識をインプットすることに必死で、得たはずの情報や知識を
ありがたがる時間が圧倒的に少なかった。
 
人に関しても(私は彼氏募集中なのですが)、出会いを求めて、どんどん人に会っていった方が見つかるのではないか。と思っていた。
今まですでに出会っていた一人一人に感謝の念が足りていなかったなーってほんと思う。
 
異性だけでなく、人間関係全てにおいて言えることでもあるよね。
増やす人脈が全てではなくて、昔から私を支えてくれたり、励ましてくれたり、一緒に泣いてくれた人達に改めてありがとうって心から思える。
 
こうやって、目の前の自分が持っている全てに感謝し始めたら、いったい何日かかるんだろう。


それだけすでに持っているし、すでにある。
 
ありがとうって思うとそれだけで満たされるね。
 
縁あって私とかかわった全ての人とモノたちに、「ありがとう」
 
 縁あってこのブログ読んでくれたあなたも「ありがとう」
 

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(シートと同化する私😆)